植松美月の制作は、紙を切る行為の反復から始まる。ハサミ、カッター、自身の呼吸と動作をシンクロさせていく。時間を投入していくうちに、形が浮かび上がってくる。紙を染めること、紙を切ること、そのどちらにも作品に刻み込まれた時間が現れる。
モリス・バーマンは『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』のなかで、中世の工芸的労働についてこう書いている。
錬金術的な姿勢が濃厚である。粉砕、蒸溜などの仕事は、反復的・瞑想的であり、それに携わる者の注意の希薄化を引き起こして、作業する者を意識の変容状態へ誘いやすい。そのような没我的な仕事のスタイルが、ステンドグラス、機織り、能筆、金属細工をはじめとする幾百もの工芸において実践されたことは想像にかたくない。このように中世の生活と思考とは、アニミズム的・ヘルメス的世界観にまだ相当な部分支配されていた。
モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』(p.102)
反復と没我によって作業者を意識の変容状態へ運ぶプロセス。ステンドグラス、機織り、能筆、金属細工に共通するのは、技術的な仕上がり以上に労働それ自体が世界との関係を再構築する行為であった点だろう。デカルト的な主客分離以前の、世界を生きたものとして実感する手つきがそこにある。植松の制作は、この姿勢を流通する紙という現代的な素材において引き受ける試みである。
植松の作品を初めて見たのは、2022年末の東京藝術大学博士審査展だった。植松は陳列館の二階で作品空間を構築していた。展示されていたのは三点、《咲きひらいて》《吹き下ろす》《瞬き》である。巨大な植物あるいは海洋生物のようにも見える《咲きひらいて》には紫と青のグラデーションがあり、様々な色と形から思考が広がる。陳列館の三分の一の空間を占める《吹き下ろす》は洞窟を思わせた。素材は市販の紙を用いており、束ねられた紙束には、それぞれのロットの色差が見える。これら大きな二点の作品と対照的に、染めた紙にナンバリングスタンプを押した小さな《瞬き》は展示台に提示されていた。
植松が作品に紙を用いるのは、メディウムとして手に入れやすいということ、そして製品として市場に流通していることが重要だからである。以前は鉄を用いて制作を行っていたが、紙へとメディウムを変化させた。鉄をやめたわけではないが、現在の関心は紙にある。柔軟に形を変えることができる素材であり、その柔軟性が鉄とは違った緊張感をもたらす。
紙のインクの吸い上げによる色の分離や、裁断によって現れた紙の断面に、鑑賞者は何かを見出すことになる。だが植松が見せているのは、結果としての作品のみならず、そこに投入された時間そのものである。
反復によって既製品を我が物としていく行為。これは世界を実感するための作業である。彫刻は時間ベースの芸術であるが、誰かの時間を省力化するための既製品を用いることはパラドックスでもある。早回しの現代へのカウンターとしても、それを超越した姿勢としても受け取れる。
呼吸への関心は、植松の制作における持続的な主題である。呼吸は時間そのものでもある。太古において時間を計るために呼吸が用いられたという説があり、古事記では息吹が度々登場する。呼吸は反復であり、最も基礎的な時間の単位である。植松が紙を切る行為と呼吸が同期するとき、作品には個人の身体的時間と、より大きな自然の周期とが同時に刻まれていく。
参考文献
モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』