カフカの階段

カフカの階段

道又蒼彩の作品には、階段に居る人々が描かれる。登る者、降りる者、立ち止まる者、振り返る者。生田武志の提唱する「カフカの階段」を参照している。同じ段に立っているはずなのに、その高さの感じ方が違うこと、そして一度降りた段を登り直すことの困難さを主題とする。道又が用いる油性木版画のリダクション・プリントは、版木を段階的に彫り進めながら紙に色を重ねる技法で、一度刷った版は前の状態に戻らない。複製のための媒体でありながら、複製が効かない。この不可逆性は主題に対する偶発的な条件ではなく、主題そのものである。

佐藤来夢、揺らぎを顕す

佐藤来夢、揺らぎを顕す

佐藤来夢の作品は、球体関節人形と彫刻という二つの系譜が交差する地点に立っている。解剖学研究室での学習を経た身体表象と、関節部に露出した球体による身体の分節——この二つが造形のレベルで練り込まれる。卒業制作《月白の城》は床に直接置かれた一体二頭の座像で、二つの頭部のうち一つは目を開いて床を見つめる。鑑賞者は姿勢を低くしてその視線と交わる必要がある。舟越桂は生前この作品を直接見て評価した。修士修了制作《在り処》は等身大の自己像で、直立不動、人体模型を想起させる形式で提示された。佐藤はポーズによる意味付けを身体に刻むことを拒否し、身体がそこに「ある」ことそのものを提示する。少女性および少年性への関心は、耽美の対象としてではなく、身体が確定的な意味付けに収束する以前の状態として扱われる。「人とは何か」という問いを収束させず、揺らぎを揺らぎのまま、作品に顕す。

大越円香が探求するiPhoneが示す世界

大越円香が探求するiPhoneが示す世界

トニー・ゴドフリーの「アーティストは時代の媒体を探求し解明する」という命題を出発点に、20世紀のテレビに代わって21世紀の媒体となったiPhoneを対象に据える大越円香の実践を読む。指紋を題材とした《Invisible view》では、写真の受容の作法がスマートフォンを基軸とする構造へ転倒していることが装置として可視化される。LiDARの点群データを変換手前の状態で取り出す《Surface drawing》は、iPhoneが捉えている世界そのものを外部に開く。鑑賞者がスマートフォンを通して別の世界に関わるピエール・ユイグやイアン・チェンとは異なり、大越はスマートフォンが見ている世界そのものを取り出して提示する。

植松美月が紙に重ねる呼吸

植松美月が紙に重ねる呼吸

モリス・バーマンが中世の工芸的労働に見出した「世界の再魔術化」——反復と没我によって作業者を意識の変容状態へ運ぶプロセスを、植松美月は流通する紙という現代的な素材において引き受ける。市販の紙を切り、染め、束ねる。既製品を反復によって我が物としていく作業は、彫刻という時間ベースの芸術が省力化のための既製品を用いるパラドックスでもある。植松が紙を切る行為と呼吸が同期するとき、作品には個人の身体的時間と、より大きな自然の周期とが同時に刻まれていく。