2025年11月、札幌芸術の森美術館で道又蒼彩の個展『relief』が開催された。同年に武蔵野美術大学大学院で修士課程を修了したばかりの作家にとって、美術館での個展は通例ではない始まり方である。しかし会場で示されていたのは、若い作家が急いて掴みにきた成果ではなかった。もっと静かで、もっと落ち着かないものだった。

道又の作品には、階段に座る人々が描かれる。登っている者、立ち止まっている者、来た方を振り返る者。振り返ったとき、後ろにあったはずの段はわずかに形を変えている。人物の衣服には時代を示す記号がない。ロゴも制服もなく、特定の年代を辿る手がかりがない。誰でもありうる人物。この開かれは曖昧さではなく、招き入れである。

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relief 展示風景

道又が用いるのは油性木版画、それもリダクション・プリントと呼ばれる技法である。和紙に色を重ねながら、版木を段階的に彫り進める。一度刷った版は、次の段階で彫られ、もう前の状態には戻らない。制作の過程で一枚を破損すれば、エディションはその分だけ減る。失われたものを取り戻す方法はない。複製のための媒体でありながら、複製が効かない。一枚一枚が、固有のものとして立つ。

この不可逆性は、主題に対する偶発的な条件ではない。主題そのものである。

道又の階段は「カフカの階段」という概念に由来する。社会活動家・生田武志が提唱したものだ。カフカは『父への手紙』のなかで、他人と同じ段に立っているはずなのに、その高さの感じ方が違うことの苦しみを書いた。生田はこの比喩をホームレス問題と社会的排除の理解へと拡張する。階段を降りること —仕事を失う、住所を失う、路上の生活へと滑り落ちる— は、しばしば自覚されないまま一段ずつ起こる。しかし、登り直すことは別の話だ。かつてただの段だったものが、壁のように立ちはだかる。

道又がこの概念に出会ったのは大学三年生のときである。自身の進路に迷いを抱えていた時期だった。階段を主題にしはじめたのは、社会理論の図解としてではなく、自分の立つ位置を考える手段としてである。最初の連作《カフカの階段》は2023年の卒業制作として発表された。九点の木版画。登る人、降りる人、立ち止まる人。階段は社会が築いた構造として現れ、そこに、誰もが他者と同じように、それを登らなければならないのかという静かな問いが置かれた。

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《カフカの階段 No.3》
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《カフカの階段 No.4》

その後の展開は、この問いの継続というより、深化として理解できる。

近作では、道又の関心は「登れない苦しみ」から、もう少し言葉にしにくいものへと移っている。同じ段にとどまるという経験。他者と同じ段にいる安らぎ。一人ではないこと、位置を共有していることの慰め。しかしその安らぎは落ち着かない。内側に低く持続する問いを抱えている。これは休息か、それともここで自分は止まるのか。自分はここに居ることを選んでいるのか、それとも、これ以上進めないだけなのか。

aaploitで開催された個展のタイトル『community of 』は、この両義性を直接名指している。共同体としての避難所、共同体としての停滞。共有された状況の温かさと、その状況が変わらないかもしれないという不安。道又はこの緊張を解消しない。開いたまま保つ。版画の中の人物たちは、苦しんでいるようにも、安らいでいるようにも見えない。ただそこに留まっている。その留まりのなかに、作品の重みが集まっていく。

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《junction》

道又はMDFボードを版木にする。圧縮された木質繊維の板で、自然の木目を持たない。これは意図的な選択である。木版画に特徴的に表れる木目の表情を画面から取り除く。透明なメディウムに少量の絵の具を混ぜ、薄い層を何十版と重ねていく。重なった刷りは雲母刷りを思わせるかすかな発光感を生み、色が同時に進んできて、また退いていく。

視覚的言語は意図的に穏やかである。柔らかな形態、抑えられた表情、結末を示さない情景。人物は自らの状況を演じない。画面の中に存在しているだけだ。その静けさのなかで、観る者は自分の物語を投影しはじめる。自分がいま登っている階段の、どこかの段に、自分自身を置き直す。

社会的な主題と、優しい視覚的レジスターの組み合わせは珍しい。啓蒙性も、醒めた皮肉も避けて、観る者が自分の道で作品に入ることを信頼している。

2023年の卒業制作以来、道又の歩みは速い。生田武志自身が『現代思想』や『福祉のひろば』に論考を寄せ、自身の概念が視覚へと変換されていく過程について書いた。アーツ前橋に作品が収蔵された。2025年2月、aaploitで『community of 』を開催し、翌月にはアートフェア東京に出品。同年夏にはアーツ前橋でのグループ展に参加し、版画のワークショップも行った。11月、札幌芸術の森美術館で初の美術館個展『relief』を開催。同月、韓国・仁川のINAS(Incheon Art Show)にも作品が並んだ。

2000年、北海道千歳市生まれ。大学進学とともに東京へ移った。故郷から大都市への距離も、ひとつの階段である。決断の連なりであり、そのたびに残された可能性の形が変わっていく。

道又の作品が問うているものは日本固有の問題ではない。しかし、それは日本の社会的条件から立ち上がってきた問いである。日本では学年や行政の年度、多くの会社の会計年度も4月に始まる。卒業、入社、新学期がひとつの月に重なり、ある世代が同じ階段に同時に乗せられ、同じ速度で登ることを期待されているかのように見える。遅れる者、立ち止まる者、脇に寄る者は、この構造のなかで視界から消えていきやすい。生田の概念は、ふだん名づけられないものを名づけている。包摂と排除のあいだの繊細な階調と、ひとつの段を踏み外したことが静かに恒久的なものへと変わっていく仕組みを。

道又の作品にこの文脈を超えた響きを与えているのは、答えを提示しない姿勢である。階段を解体すべきだとも、誰もが登るべきだとも、立ち止まることが徳だとも、道又は主張しない。階段をひとつの条件として提示し、そこに立つ人々を、ただ人々として描く。それぞれに自分の重みがあり、自分の段から見える風景がある。版木は、彫り進められ、すべての段階の記憶を内に保ちながら、現在の姿だけを差し出す。階段の上の人物たちと同じく、版木は戻れない。前へ進むことしかできない。これまでに起きたすべてを、内に抱えたまま。