絵画を前にしたとき、描かれているものではなく、描かれ方を名指す言葉があると、見えるものが変わります。ここで扱う言葉は、描く人のあいだでは共通語として使われていますが、見る側にとっても手がかりになる語彙です。筆の痕跡と絵具の重なりを表す言葉を、aaploitで紹介してきた作品とともにまとめておきます。
ストローク
ストロークは、筆を動かした軌跡のことです。線としての筆の運びが、画面にどう残っているかを指します。ナイフなど筆以外の画材を使った表現でもストロークと呼ぶことがあります。
ハッチング
ハッチングは、平行な細い線を重ねて、明暗や質感を表す技法です。線を交差させるものはクロスハッチングと呼ばれ、より深い陰影を作ります。
スフマート
スフマートは、輪郭線を引かず、明暗や色をなだらかにぼかしながら移り変わらせる技法です。イタリア語の「煙のように」に由来し、レオナルド・ダ・ヴィンチが完成させました。《モナ・リザ》の口元のように、どこで形が終わるのかが分からない画面を作ります。
タッチ
タッチは、筆が画面に触れた一回ごとの痕跡のことです。筆触とも言います。ストロークが線の動きを見るのに対して、タッチは置かれた一点一点を見ます。
点描
点描は、小さな色の点を並べて画面を作る技法です。離れて見ると、隣り合った色が目の中で混ざって見えます。ジョルジュ・スーラが体系化しました。
インパスト
インパストは、絵具を厚く盛り上げて塗る技法です。筆やナイフの跡がそのまま残り、絵具そのものが立体的な質感になります。
2023年の春名真歩の画面は、そうした絵具の堆積が主要な構成要素でした。
レイヤー
レイヤーは、絵具の層のことです。どの順番で、どの厚さで、どの透明度の層を重ねるかによって、画面の奥行きや光の見え方が変わります。
グリサイユ
グリサイユは、灰色などの単色で明暗だけを描く技法です。古典的な油彩画では、まずグリサイユで形と明暗の構造を作り、その上に色を重ねていきました。
田辺朔葉は、グリサイユで明暗の構造を作り、その上に絵具のレイヤーを重ねて画面を組み立てています。重ねられた絵具の厚みはインパストとして見ることができます。この積層が、一つの顔に積もった時間を示しています。
グレーズ
グレーズは、透明な絵具を薄く溶いて、下の層の上に重ねる技法です。層を通り抜けた光が下の層で反射し、内側から光るような深い色になります。グリサイユの上にグレーズを重ねる組み合わせは、ファン・エイクに代表されるフランドル絵画の基本的な構造でした。
ブレンディング
ブレンディングは、絵具が乾かないうちに画面の上で隣り合う色を混ぜ、境目をなだらかにする技法です。
浅野雅姫はキャンバスの上で色を混ぜ合わせて、光が溶けていくかのような画面を作ります。
明暗(キアロスクーロ)
キアロスクーロは、光と影の対比によって、形や空間、画面の劇性を作る明暗法のことです。イタリア語の「明」と「暗」を合わせた言葉で、カラヴァッジョやレンブラントの画面に代表されます。
田崎蟻の画面では、光の扱いそのものが主題になっています。《再会》では、テーブルに落ちる黄色い光が形を持ち、ものの輪郭を横切って画面を組み立てる。一方で《キアスム》では、光が茶色の画面の奥に沈められ、像はごく低い明暗の差の中に置かれています。見る人の目が慣れるまで、そこに何が描かれているのかは分かりません。光を強くすることも、光を抑えることも、同じように見ることを操作しています。
偶然性を内包した技法
筆の制御から離れ、絵具の流れや重力に画面を委ねる技法もあります。
ドリッピング
ドリッピングは、絵具を画面に滴らせたり、流し落としたりする技法です。ジャクソン・ポロックが床に置いたキャンバスに絵具を滴らせて制作したことで知られています。
ステイン
ステインは、下地を塗らない布に、薄めた絵具を染み込ませる技法です。絵具は表面に乗るのではなく、布の繊維の中に入っていきます。
松田菜優子の絵画はステインを基底にしていますが、染み込む過程を制御し、色が及ぶ領域と布がそのまま残る領域を分けています。偶然に委ねるように見えて、境界は選ばれています。
マチエール
マチエールは、画面の材質感や肌理のことです。ここまでの技法が組み合わさった結果として、画面に現れる質感の全体を指します。
それぞれの技法の名前と特徴がありますが、絵画を完成させるために、作家は様々な技法を用い、自身のオリジナルの工夫も入れます。そうして完成した作品の表現は分類しきれるものではありませんが、美術史の中で見出された技法を知ると、その作家が取り組んでいる方向性も見えてくるように思えます。
ここに挙げた言葉は一部です。作品に出会うたびに、書き足していきます。
参考文献
高階秀爾『カラー版 名画を見る眼Ⅰ 油彩画誕生からマネまで』岩波書店(岩波新書)、2023年