佐藤来夢の作品は、球体関節人形と彫刻という二つの系譜が交差する地点に立っている。表皮の下に筋肉や骨格を感じさせる質感は、東京造形大学大学院在学中に医学部に内地留学し、解剖学研究室で学んだ経験を経て獲得されたものである。一方で、関節部に露出した球体は、解剖学的な身体の連続性を意図的に切断する。生命と無機物、連続と分節、内側と外側。これらの境界を、佐藤は造形のレベルで作品に練り込んでいる。

佐藤来夢《月白の城》
佐藤 来夢、《月白の城》、2023年、石粉粘土、モデリングペースト、油彩、髪、1000 × 400 × 300mm、© 2023 佐藤 来夢, Courtesy of the Artist and aaploit

東京造形大学の卒業制作《月白の城》(2023)は、彫刻棟の奥に、台座を持たず床に直接置かれていた。一体の身体が首のあたりで二つに分岐し、二つの頭部を持つ。下半身は一つに統合されている。座した姿勢で、身長は1メートルほど。広い空間において、この作品はほとんど空間を占めない。にもかかわらず、その存在感が視線を引きつける。引き寄せるのはスケールではなく、作品の固有性である。

二つの頭部のうち、ひとつは目を開いて床を見つめ、もうひとつは閉じている。鑑賞者がその目と視線を交わすには、しゃがみ、身を寄せ、姿勢を低くする必要がある。座した姿勢は、作家による意味付けではなく、身体がそこに「ある」ことそのものを提示している。

技法に関わりなく何かがそこに表れているかどうか

美術手帖2006年8月号「舟越桂 正面突破の秘密 聞き手小谷元彦」(P.36)

舟越桂は生前、東京造形大学客員教授として《月白の城》を直接見ていた。技法を問わず、そこに何が表れているか。舟越の言葉は、球体関節人形という形式を「人形技法」のカテゴリーで処理する視線を一度後退させ、作品の前で何が起きているかを問い直す。佐藤の作品は、人形技法の優劣で判断される地点ではなく、舟越が言う「そこに何が表れているか」の地点で受け止められている。

石粉粘土、モデリングペースト、油彩、人毛。素材は身体の触覚的な現前を強める方向に組み合わされている。一方で、可動する球体関節は隠されることなく露出し、作品が組み立てられたものであることを明示する。触覚的な生々しさと、構造の可視性。この緊張のうえに作品が立っている。

二つの頭部は対立を表しているのではない。同一の身体に、同時には両立しない複数の状態が宿りうるという事実を提示している。月白(げっぱく)という伝統的な色名(月明かりの淡い青白さ)を冠したこの作品は、確定した一つの像へと収束することを拒みながら、しかし無形ではない明確な輪郭を保っている。

佐藤来夢《在り処》
佐藤 来夢、《在り処》、20205、石粉粘土、モデリングペースト、油彩、アイシャドウ、髪、1650 × 450 × 300 mm、©2025 Sato Raimu. Courtesy of the artist

修士修了制作《在り処》(2025)では、佐藤は等身大の自己像へと向かう。球体関節を持ちながら、直立不動の姿勢で展示された。立つ、それ以上のポーズが取られていない。人体模型を想起させる形式である。

人体模型は、特定の個人ではなく身体一般を提示するための装置である。誰でもありうる身体、しかしいま目の前にある具体的な身体。《在り処》はこの両義性を引き受ける。等身大、自己像、しかし作家の解釈をポーズとして身体に刻むことを拒否する。立つ、ということ以外に、身体に余計な意味付けがされていない。観る者は、その身体の前で、自分自身の身体性を意識せざるを得ない。

球体関節という構造は、人形の系譜では身体を分節して扱うためにある。佐藤はこの分節構造を保ちながら、しかし作品の主題を可動性から外し、身体がそこに「ある」ことの方へ寄せている。

佐藤の関心は、少女性および少年性に向かう。変声期、成長期、アイデンティティが社会的に固定される手前の、揺らぎの中にある身体に向かう。これは耽美の対象としてではなく、身体が確定的な意味付けに収束する以前の状態として扱われる。固定されない、あるいは固定される前の身体のあり方を、彫刻という固定的な物質に定着させる。この矛盾が、作品の核心にある緊張を生む。

写真では伝わらない、と佐藤の作品について繰り返し言われる。立体的存在感、表面の触感、関節の構造、視線の角度。これらは画像メディアが捨象する次元にある。鑑賞者は様々な角度から作品に近づき、しゃがみ、回り込み、距離を取る。身体的な運動を経て、作品との関係が立ち上がる。

球体関節人形と彫刻、人形の系譜と美術の系譜、サブカルチャーとファインアート。これらの境界線上に佐藤の実践は立っている。どちらかへの収束を拒みながら、どちらの語彙でも捉え切れない領域を切り開いている。「人とは何か」という問いを収束させない。揺らぎを揺らぎのまま、作品に顕す。

参考文献
  • 美術手帖2006年8月号「舟越桂 正面突破の秘密 聞き手小谷元彦」