クリティカル・パスティーシュは、過去の様式に忠実に倣いながら、その様式がこれまで覆い隠してきた構造を、様式そのものを通して露わにする実践を指す言葉です。aaploitが、浅野雅姫の絵画をめぐって名づけました。
パスティーシュは、既存の様式を模倣し、組み合わせる手法です。批評家フレドリック・ジェイムソンは1980年代に、大きな物語が終わり、共有された規範が失われた後では、模倣はもはや批評として働かず、笑いも風刺も持たない「空虚なパスティーシュ」になると指摘しました。様式は引用されても、その意味は問われない、という状況です。
ここでは、模倣による批評の再起動を、クリティカル・パスティーシュと呼びます。外から美術史を批判するのではなく、同じ様式の内側に立つ。新しい意味を付け加えるのでもなく、もともと様式の中に潜んでいた経済や性、制度の構造を、覆いを外すようにして見せる。現在への批評と、その構造を繰り返してきた歴史への批評が、同時に起きます。そして、美術史の知識を持つ人も、現代の視覚文化に親しんだ人も、それぞれ別の入口から同じ構造にたどり着く。批評が、特定の教養を持つ人だけのものではなくなります。
浅野雅姫は、パルマ・イル・ヴェッキオの《風景の中のヴィーナスとキューピッド》に倣いながら、キューピッドをホストクラブの「担当」に、矢を一万円札に置き換えました。神話の修辞が覆っていた、性と経済のやりとりが、同じ古典の様式のまま画面に現れています。
詳しくは、論考「クリティカル・パスティーシュ」(日本語/英語)で書いています。
参考文献
フレドリック・ジェイムソン「ポストモダニズムと消費社会」、ハル・フォスター編『反美学―ポストモダンの諸相』室井尚・吉岡洋訳、勁草書房、1987年