描くことは、見えるものを写し取ることではない。
対象が画面に在るための条件を最初から構築することだ。その意識は背景の一点にまで及ぶ。壁の質感、光の循環、対象を包む空気の密度。それらは雰囲気ではなく、対象がそこに在るための条件である。描かれたものはすべて、同じ必然性の中に置かれている。
役目を終えたものたちはすでに何かであることをやめ、静かに存在だけを続けている。描く対象が壊れたもの、欠けたものに向かうのはそのためである。機能が剥がれたとき、その構造はより純粋に現れ、その姿は軽やかに見える。
モチーフをたどりながら描く過程で、対象への親しみを錯覚する。しかしそこに近づくほどに、そのものが持つ固有の時間、知り得ない時間が際立ち、対象は遠くなる。
本来の場所から持ち出されたモチーフの傷や欠けは、役割や機能の喪失として理解される。しかしながら多くの場合、外部から与えられた判断にすぎない。本来の姿を知らなければ、どこが壊れているのかの判断さえ定かではない。その曖昧さと沈黙の中で継続する日々は、空虚さをはらみながらも、ごく自然である。
私の絵画は、見ることの前提の上に立っている。