幼少期に住んでいた家は、壁や天井、床がすべて異なる素材や模様で構成された空間であった。私はその模様の線をぼんやりと辿るうちに、単なる模様であったものが次第に人や動物の形として立ち現れる経験をした。この経験から、私は自ら世界を見ようとし、能動的に世界を見ていたと考えている。
しかし制服を着るようになってからは、ただ見られるという無力さを強く感じるようになった。制服は全員が同じであるからこそ、生まれ持った差異をかえって強調する装置のように感じられた。他者の視線を強く意識し、「見られる自分」として立つ時間が増えていった。
その後、私服を選択するようになり、見られることを前提としながらも、見られ方に関与できる感覚が生まれた。完全に見られ方をコントロールするわけではないが、全くの受動でもない。その中間にある視線の状態を、「装う視線」と呼ぶ。
制作においては、日本人形の木目込み人形の技法を参照し、布を支持体に差し込んでいる。布は内部へ入り込みながら一部が表面に残り、内と外、表と奥が明確に分離しない構造を形成する。鑑賞者の距離や位置によって見え方が変化することで、視線が行き来する状態そのものを、絵画の構造として立ち上げている。