情報やイメージが、物理的なメディアを介さずに流通するようになり、すでに長い時間が経ちました。日々の営みの中で、情報を紙面でなくディスプレイ上で見ることの方が多い人もいるのではないでしょうか。
版画は、イメージを複数の媒体へ転写し、広く流通させることを可能にする技術として発展してきました。日本においては、木版画が有効な手段として用いられ、特に江戸時代の中期以降の浮世絵は、大衆にまで広く普及しました。この複製技術としての版画では、下絵を描く者、版を刻み製版する者、紙へと刷る者と分かれてある種工業的につくられていました。このように、複数の人による分業体制のもと、大量に生産・流通することが可能だった版画ですが、明治末期から大正にかけて、より創作的な側面を重視して独立した美術のカテゴリーとする運動、「創作版画運動」が起こりました。版画家・山本鼎の掲げた「自画・自刻・自摺」のもと、版画はそれまでの分業による技術としての版画とは異なり、個人の創作性を重視する芸術であるという考え方が成立しました。
自画・自刻・自摺とは、これまで分業制で行われてきた版画を、すべて一人が担うことで創作性を取り戻そうというもので、美術作品としての版画としては当たり前と思われることかもしれませんが、この運動をもって日本の近代版画がはじまります。
ところで版画というと、木の板を彫刻刀で彫り、平滑な面にはインクが付き、彫った面は白抜きになるという木版画が一番版画と聞いてなじみがあるのではないでしょうか。
棟方志功は、地元青森のねぶた絵を参考に、版木に墨でイメージを描いたところを彫る力強い作品を残しました。
こういった形式の版画は凸版画といい、版木の高い部分にインクをのせて紙に版を押し付けて写し取ります。その他にも版画の種類には、溝にインクをのせて像を写し取る凹版画、水と油の反発によってインクを特定の場所に残す平版画、布状のものに描きたい図像の通りの穴を作り、その間をインクが通ることで反転せずにイメージを得ることができる孔版画などがあり、一見でてくるイメージは違いますが、これらはすべて版画の技法です。孔版画は現在もオフィスなどで見かけるデジタル孔版印刷機にも応用される技術であり、インクジェット印刷が普及する以前の商業物の印刷にも使われてきました。
商業デザイナー、イラストレーターとして成功を収めたアンディ・ウォーホルは、1960年になるとアーティストへと転向します。誰もが見たことのあるキャンベルのスープ缶やマリリン・モンローの肖像など、すでに流通・消費されているイメージを、シルクスクリーンによりイメージを反復させ再生産する作品を発表します。
ウォーホルが手掛ける作品をはじめとするポップアートは、大量生産・大量消費の社会で生まれたアートムーブメントで、その中で版画は、表現の深化、手法を追求するだけのフィールドではなく、コンセプトを追求するための手段としても拡張されてゆきます。
このように、版画は複製技術として生まれて、芸術表現においては多くの作家によって表現の追求が試みられ、さらに特定のコンセプトを表現する手段まで多様化していきます。情報やイメージの複製・流通が印刷や版画技術の物理的な工程を抜きにしてディスプレイ上にあふれる今、あえて版を作り刷るという行為、生まれる芸術について、どのような領域として捉えていくことが可能でしょうか。
aaploitでも展示を行う道又蒼彩の作品、「カフカの階段」シリーズは、社会運動家・生田武志が提唱した概念である“カフカの階段”から着想を得た版画作品です。画面には階段と様々な人々が描かれ、木版の表現により、温かみと物語性のある画面が生み出されています。
表現技法に着目すると、道又は版木を一定彫り進めて刷り、また一定彫り進めて刷るという一版多色刷りの手法で作品を制作しています。一般的に版画は、繰り返し同じイメージを生産できるという手法であったはずですが、道又の作品では最初に刷った枚数を超えた数の作成ができないし、最後の刷りを終えた版木から、同じ作品を再び作ることはできません。版画という技術の特性-版があるからこその複数性-が結果として手放されています。
このように、版画の“複製技術”という側面を相対化する作品も見られる中、改めて“彫り”と“刷り”に立ち返りこの領域について考えてみます。
そもそも、版画制作における刷りとは、必ずしも完成した作品を得るための最後の工程ではないでしょう。版をつくっている最中に、仕上がりの確認の為に一旦刷るということもあるはずです。支持体に直接描く絵画表現と違い、版画には、描くこととその結果の間には偶然をはらむ刷りという工程がはさまります。ここに対してねらいを定めて描画を行うのか、または偶然を意図的に重ねていくのか。この取捨選択の可能性にも版画の一側面を見ることができるのかもしれません。
彫る、刷るの反復によりイメージの翻訳を繰り返すこと。行為の反復ではあっても、像はかならずしも反復しないという制作プロセスにおける特性にこそ今日の版画を考える一端となるのではないでしょうか。
もはや、あらわれるイメージに対して版画というカテゴリーを与えることが困難な今、版画を表現手法として用いる作家たちの展覧会タイトルが「ITERATION」とされているのも印象的です。この展覧会は、版画をただの表現分野の分類ととらえるだけでなく、行為というアプローチから捉えなおす契機となるはずです。
具体的な作品を介しての思考については、展覧会を実際に見てからの課題として本稿を締めたいと思います。