菊地寅祐は幼少期からビデオで同じ映像を繰り返し見てきた。何度も再生する。そのたびにテープの磁性体は摩耗し、像はわずかに遠のく。触れなければ見えない。しかし触れるたびに、触れる前の状態には戻れない。映像に向き合うとき、見ている者と像のあいだの距離は消える。映像の時間がそのまま自分の時間になる。しかし近づこうとする行為が対象を変え、変わった後にしか触れることができない。
菊地は樟木を彫る。ノミが入るとき、彫られた素材は二度と戻らない。樟が何年もかけて蓄えた時間が、制作のいまに介入し、彫る手はそれに応答する。 菊地の彫刻は、その手前に立つことはしない。すでに触れてしまった後の、不可逆の表面である。
作品の多くはレリーフという形式が選ばれる。彫刻でありながら、鑑賞者は表面からしかこの彫刻に触れることができない。内部で起きた木と手の応答は、痕跡としてだけ残る。