aaploit(アプライト)では、2025年7月4日(金)から7月27日(日)の日程で石黒光、石松由布、田崎蟻、松田菜優子の四人によるグループ展「キアスム」を開催します。
「キアスム」とは、哲学者モーリス・メルロ=ポンティが用いた概念で、知覚するものと知覚されるものの交叉を意味します。右手で左手に触れる時、触れるものと触れられるものが同時に成立し、主体と客体の区別が曖昧になる構造として現れます。視覚においても同様で、私たちが風景を見る時、その風景の色彩や光は私たちの目に映るだけでなく、感情や記憶を呼び起こし、内面に何らかの共鳴を生み出すという洞察です。*1
本展は、このキアスムの観点から若手アーティスト四人のグループ展として企画しました。絵画の鑑賞体験では、鑑賞者(主体)が絵画(客体)を一方向的に「見る」関係が成立しますが、絵画と鑑賞者の関係において見る行為を通じて、絵画世界が鑑賞者の中に接続し、新たな解釈や感情といった意味的な世界が繋がる——そのような相互的な芸術体験の創出を試みます。
デジタル化が進む現代、私たちはアルゴリズムによって最適化され、一方向的な情報消費に慣れています。本展は作品との対話を通じた鑑賞者自身の内面に相互浸透するような鑑賞体験により、予期せぬ発見に満ちた出会いの可能性を示すものです。
石黒光の実践は、マルセル・デュシャンの「アンフラマンス」という概念から界面を抽出し、独自の解釈を展開する。物質に宿る余韻と、それを感受する精神との交錯する領域を探る営みは、まさにこの界面への着目から生まれている。
石黒の作品に度々登場する蝶や蛾、貝殻のモチーフは、物質的な存在の境界を超え、生命の儚さと循環を象徴している。画面の中に現れる宙に浮かぶ女性の顔——”大切な子”として描かれる姿は、少女とも大人とも取れる表情から、現実と深層意識の境界を探る存在として印象付けられる。観る者と作品との間に生まれるこの視線の交錯は、見る/見られるの関係性を問い直し、内なる対話へと誘う。
石黒の制作過程は、フロイトの言う「喪の作業」として、個人的な喪失を出発点としながらも、その表現は共感可能な感情の領域へと昇華される。「人」という記号を通じた自己との対話において生まれる内省と反撥の痕跡は、現代における主体のあり方そのものを問い直す射程を持っている。

石松由布は、自身が目で見た記憶を主題として、日本画材を用いて絵を描いている。対象を見た時間と描く時間の間にずれを作ることで、描かれた表象は実際に見た風景よりも幾分か抽象化される。この時間的間隙の中で、記憶は曖昧さを帯び、絵画の持つ抽象化の性質と重なり合う。
《コップ一杯に舟》(2025年)は、こうした記憶と絵画の関係性を空間的な広がりの中で展開した作品である。階段の踊り場に設置されたこの作品は、鑑賞者が階段を上る際の身体の揺れと呼応し、タイトルが示唆する『舟』の体験を空間的に演出する。木製パネルの支持体を意図的に透明化させることで、通常は絵画の構造として隠されている支持体が和紙に描かれた草花のモチーフと対等な視覚的要素として機能し、両者は互いを補完しながら空間に浮遊する。天然岩絵具の鉱物的な粒子感は、記憶の断片的で粒状の質感と呼応し、物質の持つ具体性が記憶の抽象性と交差する地点を可視化している。意図的に作られた板の歪みは時間を経て変化する記憶の不安定さを物質的に表現し、見ることと描くことの間にある時間的な隔たりを、空間と一体となった表現として提示している。

襖絵、衝立、床の間の掛け軸など、日本美術は歴史的に生活空間と密接に結びついていた。生活様式が変化するなかで、石松の実践は美術を再び日常の記憶と結びつけ、現代の生活空間に新たな親密さをもたらそうとする試みである。伝統的な日本画の語彙を用いながらも、支持体の透明化や空間との一体化といった挑戦的手法により、絵画そのものの可能性を拡張している。生活という個人的で普遍的な体験を通して、美術と生活の境界を静かに問い直している。
田崎蟻は、現代社会と自然環境の関係性を、観る者と観られるものの境界を溶解させる独自の絵画言語で探求している。野生動物保護の現場での経験は、彼女の作品において人間と自然の相互浸透的な関係を描き出す視座として結実している。

《底なしの輪》は、彼女の絵画実践の核心を示している。画面全体を覆うゴーグル状のフレームは、鑑賞者の視線を作品内部へと導き、観察する主体を観察される客体へと反転させる。水中に描かれたオオワシの狩りと「かごめかごめ」を思わせる人の輪は、自然の営みと人間の営みが不可分に絡み合う世界の構造を顕在化させる。 田崎の絵画において、画面からはみ出す人の輪や鑑賞者を取り込むゴーグルのフレームは、作品世界と現実世界の境界を意図的に攪乱する。それは善悪の判断を保留し、現代文明に生きる我々すべてが「影響の連環」の中にあることを静かに提示する。この連環の中で、鑑賞者は安全な観察者の位置に留まることを許されない。 主客の入れ子構造を通じて、田崎の絵画は鑑賞という行為そのものを問い直す。私たちは観る者であると同時に観られる者として、複雑に絡み合う世界の一部となることを体験するのである。
松田菜優子は、アクリル、水彩、岩絵具を組み合わせることで、境界が溶け合うような絵画空間を創造している。異なる性質を持つ画材の重なりは、自然界の有機的な成長と変化を捉えながら、確固とした形態と流動的な空間が共存する場を生み出す。
《ゆりしろいろの》では、青と緑を基調とした画面の中に、ピンクや紫が微かに浮かび上がる。大胆な余白と意図的に設けられた「抜け」の部分は、絵画の物質的な現前と鑑賞者の知覚が交わる余地を作り出している。にじみの技法によって生まれる色彩の浸透は、要素間の境界を曖昧にし、静謐な空間に時間の流れを宿らせる。

松田の絵画は、言葉の多義性と視覚的な曖昧さを通じて、見る者それぞれの記憶や感情と響き合う。それは単なる風景の再現ではなく、鑑賞という行為の中で絶えず新たな意味が生成される、開かれた場としての絵画である。画面に広がる有機的な形態は、見ることと見られることの間で揺れ動きながら、鑑賞者の内なる物語を静かに呼び起こしていく。
四人の若手アーティストそれぞれが、この「見る/見られる」のキアスムを独自の表現で体現します。鑑賞者の動きや視線に応答する作品、時間の経過とともに変化する表情、身体感覚と共鳴する筆触やマチエールの実験を通じて、単に作品を「見る」のではなく、作品と深く「出会い」、能動的な関わりを通して新たな発見をする体験を提供します。
石黒光、石松由布、田崎蟻、松田菜優子という四人の才能が織りなすグループ展「キアスム」は、作品を鑑賞するだけでなく、作品との深い対話を通して、私たち自身の内面と向き合う貴重な機会となるでしょう。それぞれのアーティストが独自の視点と表現で『見る/見られる』の関係性を問い直す本展は、デジタル化が進む現代において、予期せぬ発見に満ちた芸術との出会いを求めるすべての人にとって見逃せない展覧会となるはずです。
石黒光、石松由布、田崎蟻、松田菜優子 四人展「キアスム」に関してのお問合せは info@aaploit.com までメールにてお願いいたします。
(1) モーリス.メルロ=ポンティ. 見えるものと見えないもの 付・研究ノート. 滝浦静雄, 木田元(訳). みすず書房. 2017新装版. pp184-186.
展覧会概要
「キアスム」石黒光, 石松由布, 田崎蟻, 松田菜優子 四人展
- 会期
- 2025年7月4日(金)から2025年7月28日(日)
- 時間
- 会期中の金、土、日 13:00 – 18:00
※会期中の他の日程の観覧をご希望の場合にはご予約ください。 - 会場
- aaploit 東京都文京区関口1-21-17 TMKビル 2階
アーティスト略歴(50音順)
石黒 光 / Ishiguro Hikaru
経歴
- 2024
- 東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース卒業
東北芸術工科大学大学院修士課程芸術文化専攻絵画領域に在学中
個展
- 2024
- “witch craft”, haco-art brewing gallery-, 東京
グループ展
- 2025
- “ザ・シンク”, UNPEL GALLERY, 東京
“くしの目のほこり”, aaploit, 東京
“手跡-東北から紡ぐリアル”, 美岳画廊, 東京 - 2024
- ” THE JOY OF BEING WITH “, COLORBEAT, ソウル, 韓国
“第9回石本正日本画大賞展”, 石正美術館, 島根
“Emerging Echoes: Presenting Realism”, COLORBEAT, ソウル, 韓国
“dadacha-東北芸術工科大学大学院4人展-“, 銀座スルガ台画廊, 東京
“アマダレ 石黒光・荻莊天馬・戸田創史”, 画廊翠巒, 群馬
受賞歴
- 2024
- 第9回石本正日本画大賞展 特別賞「日本海信用金庫理事長賞」
東北芸術工科大学修士課程芸術文化専攻絵画研究領域 入学 - 2023
- 第44期 国際瀧冨士美術賞 優秀賞
石松 由布 / Ishimatsu Yufu
経歴
大分県出身
- 2023
- 佐賀大学芸術地域デザイン学部 卒業
- 2025
- 佐賀大学大学院地域デザイン研究科日本画専攻 修了
グループ展(抜粋)
- 2024
- “ロング・スロー・ディスタンス”, EDAUME, 佐賀
“Prologue XV 2024”, GALLERY ART POINT, 東京
“覚えてない紙”, PERHAPS, 佐賀
“ザ・9”, EDAUME, 佐賀 - 2023
- “オリエンテーション”, atelier CORO, 佐賀
“実験の最小にて(2)”, KOZENDO, 福岡
“サイトのピープルがプールサイドでショート・ショートを着用していたら、ポ団地の住人がオムニバスに乗って通り過ぎた”, NIGOKAN GALLERY, 佐賀
“(a)cup of water”, gallery NOMA, 佐賀 - 2022
- “グループ展(1)”, シルクロ, 佐賀
受賞歴
- 2023
- Idemitsu Art Award 2023 入選
田崎 蟻 / Tazaki Ari
経歴
- 2025
- 東京藝術大学油画科 入学
個展
- 2025
- “田崎 蟻展”, 銀座 蔦屋書店, 東京
- 2024
- “あなたの家の地下に棲むものです”, Gallery美の舎, 東京
グループ展(抜粋)
- 2025
- “あるところ展”, 原宿アートインギャラリー, 東京
“CROSS OVER Vol.50”, Senso Art Gallery Cafe, Johor Bahru, Malaysia - 2024
- ブルーピリオド×CONVERSEコラボ “BLUE’S”, CONVERSE TOKYO, 東京
“ABAB閉店大大大感謝祭”, ABAB UENO 上野下スタジオ, 東京
“穴”, gallery33, 東京
“私東京 vol.15 こわいろ”, ABAB UENO 上野下スタジオ, 東京 - 2023
- “一蓮回廊”, 東銀座ヒコヒコギャラリー, 東京
受賞歴
- 2023
- Gallery美の舎学生選抜展2023 最優秀賞受賞
- 2019
- 高校生国際美術展 佳作受賞
松田 菜優子 / Matsuda Nayuko
経歴
2002年愛知県出身
- 2025
- 武蔵野美術大学造形学部油画学科油絵専攻 卒業
グループ展(抜粋)
- 2025
- “Reframing|絵画再考”, ARTDYNE, 東京
“春のあしおとⅡ”, 鈴画廊, 東京
“In my own way”, 名古屋市民ギャラリー矢田, 愛知 - 2024
- “第50回美術の祭典東京展”, 東京都美術館, 東京
“涼しい時間 ||”, 鈴画廊, 東京
“FACE展2024“, SOMPO美術館, 東京 - 2023
- “針一本足りないために”, gallery33 south, 東京
受賞歴
- 2024
- 東京展美術協会主催「第49回美術の祭典東京展」奨励賞
- 2023
- 「五美大交流展」東京展特別推薦賞