植松美月は、紙を切り、染め、スタンプを押す。鉄を叩き、折り、重ねる。同じ動作を、気の遠くなる時間のなかで繰り返す。
行為は素材に蓄積する。素材は行為によって変容する。その往復は、作者の意図が素材を制御するのではなく、反復そのものが両者のあいだに固有の関係を発生させていく過程だ。一度きりの接触では届かなかった何かが、繰り返しの堆積のなかで、徐々に姿を現しはじめる。
植松の制作において、反復は同じことをすることではない。切ることは、前の切断の痕跡の上で行われる。染めることは、すでに染まった層の上に重なる。押すことは、先の圧力が残した微細な変形を引き継ぐ。動作は蓄積し、蓄積は次の動作の条件を変える。同じ行為は、二度と同じ行為ではない。
この構造のなかで、植松が問うているのは制作の効率でも表現の完成でもない。途方もない時間をかけて世界に触れ続けることで初めて開かれる、知覚の回路である。作品は、その回路が通った痕跡として存在する。